つばさをなくした天使3



** 8イエス様をさがしに

  エルは、急に元気になってベタニアの町を出て、東へ向かいました。 空を飛べたら、ひとっ飛びでいけるのに、歩くと 何と時間がかかるのでしょう。まる一日かかって、やっとヨルダン川の岸辺に着きました。
川沿いを歩いてイエスさまを探しましたが、どこにもおられません。

そのとき、イエスさまが町を出てエルサレムへ向かったといううわさが聞こえてきました。 エルは、がっかりしましたが、気を取り直して出かけました。
昨日から、歩き続けているので、エルのはだしの足はまめだらけで血がにじんでいます。こんなことも、前にはなかったことです。

何時間も歩いて、やっとエルサレムの町が見えてきました。
(この町では、よくいたずらしたっけ……)
でも、今はそんな気にもなりません。
(ぼくは、まだだれにも見えないようだ。もし、人間になっちゃったら、いくらイエスさまでもぼくを天使にもどせないだろうな。今のうちにイエスさまにお願いしなくちゃ)

エルは、疲れてふらふらになりながらも、歩き続けました。
イエスさまがエルサレムからベタニアに向かったと人々が話しているのが聞こえてきたときエルは体の力がぬけて、道ばたにすわりこんでしまいました。
(何だ、シャミルのところで待っていればよかったんだ)

エルは立ち上がると足をひきずってベタニアに向かいました。体が重く、顔がほてっています。足は痛いのを通りこして、じんじんとしびれています。
夕暮れになって、エルはやっとベタニアに着きました。倒れそうになりながら歩いていると、女の人に声をかけられました。前に見かけたことのある人です。

「ぼうや、どうしたの? 具合でも悪いの?」
「ああ、とうとう人間になっちゃったんだ。」
エルは、ふらふらと倒れ、気を失ってしまいました。

気がつくと、エルはベッドの上に横になっていました。小さな窓から朝日がさしこんでいます。頭が割れるように痛く、のどがカラカラにかわいています。
「まあ、良かった。気づいたのね。夕べから目をあけないから心配していたのよ」
さっきの女の人が来て、エルに何か飲ませました。
「薬草をせんじたお茶よ。これできっと熱が下がるわ」
女の人は、やさしくほほえみました。

「ぼく、病気になったの?」
「そうよ。でも、しばらく休めば良くなるわ。君の名前は?」
「エル」
「わたしは、マリヤ。よろしくね」

マリヤは、エルのひたいにのせている手ぬぐいを水で冷やそうと、台所へ行きました。
「あら、水がもうないわ。今、くみに行くから待っていてね。水がめが割れちゃったから小さなつぼにしかためておけないのよ」  
エルは、マリヤの言葉にはっとしました。以前、ころばせて水がめを割ってしまった女の人でした。エルの心はずきっと痛みました。

マリヤが水くみにでかけようとした時、青年が入ってきました。
「姉さん、イエスさまはエルサレムのシモンの家におられるよ」
「ありがとう。急いで行かなくちゃ。ラザロ、水をくんでこの子のひたいに冷たい手ぬぐいを当てておいてね」
マリヤは立ち上がると、エルに向かって、
「大事な用があって出かけるから、おとなしく寝ているのよ。」
と、紫色のつぼを大事そうにかかえて出ていきました。

「マリヤ姉さん、何いっているんだ? この子って、だれもいないのに……。」
ラザロは、首をかしげてじっとベッドを見つめました。

(よかった。この人には、ぼくのことが見えないんだ。じゃあ、まだ間に合うぞ。イエスさまは、シモンの家だって? 行かなくちゃ)

エルは起きあがろうとして、頭をかかえて倒れ込みました。頭が割れるように痛みます。
(病気って、こんなにつらいものなのか……。あのベテスダの池の周りにいた人達もこんなにつらかったのかなあ。)

エルは、しばらくうとうと眠りました。昼過ぎに目ざめると、熱は下がったようで頭の痛みはすっかりなくなっていました。
エルは、イエスさまをさがしにエルサレムへ出かけました。ようやくイエスさまのいる場所がわかったときは、すっかり暗くなっていました。
イエスさまはエルサレムの町はずれ、ゲッセマネの園におられるというのです。 エルは、まだふらふらする体で坂道をのぼっていきました。

満月が銀色の光を投げかけています。木陰で三人の男の人が眠っていました。そこから少し離れた所に、イエスさまはおられました。
イエスさまは、ひざまずいて岩に両手をのせて祈っています。
エルは近づいて、「イエスさま」と声をかけようとして、はっと口を閉じました。

イエスさまは、つらそうに顔をしかめて一心に祈っているのです。こんなにつらそうなイエスさまの顔を見たのは初めてです。
イエスさまが地上に来られる前、エルはよく天の国でイエスさまと話しました。イエスさまは、いつもにこにことやさしい顔をしていたのに……。

組んでいる手は、小きざみに震え、ひたいからは汗が流れ落ちています。
エルが、イエスさまの横顔をじっと見つめていると、イエスさまの目から一粒の涙がぽとりと落ちました。
(ぼくのせいだ。ぼくのことを悲しんで泣いているんだ)

エルは、今まで自分のしてきたことを思い出しました。人間をばかにして、からかったこと。数え切れないほどのいたずらをしたこと。そしてシャミルのことを思うと……胸がはりさけそうになりました。
(スティックをかくされて、ぼくはシャミルのことをずっとうらんでいた。でも、あれは本当にシャミルが悪かったんだろうか……。
シャミルは、自分の足よりナタブさんの病気を治したかった。ナタブブさんを助けるためにしたことだったんだ。ぼくは、自分のことしか考えていなかった。つばさを下さいなんていえないよ。天に帰る資格なんてぼくにはない……)
エルの目からも涙がこぼれ落ちました。エルは坂を降りて、ふもとの草の上に倒れこみ、そのまま眠ってしまいました。


** 9ゴルゴダの丘

  次の日、さわがしい人々の声でエルは目をさましました。
「十字架につけろ!」
「十字架だ!」
声は、エルサレムの町から聞こえてきます。エルは、胸さわぎがして町へ急ぎました。

「とうとうイエスは、十字架刑か。」
「当たり前よ。自分のことを、神の子なんていうからさ」
「もし、本当に神の子なら、おもしろいことが起こるかもしれないぜ」
「そうだな、見にいくか」
街角で、男達が話しています。

(イエスさまが、十字架につけられるって? うそだ、そんなことがあるはずない)
エルは、男たちの後についていきました。ゴルゴダの丘を息をきらしながら上っていくと、突然後ろから声をかけられました。
「エルじゃないか! 元気だったかい?」
ふり帰ると、シャミルが足を引きずって上ってきています。

「シャミル、あの時はごめん。絶交だなんていったけど、ぼく……」
エルは、言葉につまってうつむきました。
「ぼくの方こそごめんよ。ぼくのせいで君は、つばさをなくしてしまったんだもの」
「シャミル、どうして足を引きずっているの? スティックは?」
「スティックは、ベテスダにいる足の悪いおばあさんにあげてきた。あんなに悪いことをしてしまったぼくに、使うことはできないよ。ぼくは、一生足 を引きずって生きる。ぼくが、君にしたことを忘れないために……」
シャミルは、つらそうに言いました。エルはたまらなくなって、シャミルの手をしっかりにぎりました。

「ところで、シャミル。イエスさまが十字架につけられたっていう人がいるけれど、うそだろう?」
「悲しいけれど本当のことだよ、エル」
「本当のこと? イエスさまが十字架に!」
エルは、丘を一気にかけ上がりました。見上げると、丘の上に三本の十字架が立っていて、その真ん中にイエスさまがつけられていました。

イエスさまは、頭にいばらの冠をかぶせられ、その両手と足に太いくぎが打ち付けられています。
体の重みで、両手が引き裂かれるように痛み、わずかに足をのばして体をつっぱると、足から血がどくどくと流れ落ちます。
イエスさまは、その痛みにじっと耐えておられました。
エルは、自分の心臓にくぎがささったようにずきんと痛みました。
(ぼくのためだ。ぼくのためにイエスさまは十字架にかかってくれたんだ……)

エルはいてもたってもいられなくなって、走っていき十字架にしがみつきました。
エルのちょうど頭の上にイエスさまの足先がありました。
エルは、手を伸ばして足の指をさすると、
「ごめんなさい。ぼくは、ぼくは……」
と、いったまま胸がいっぱいになって、涙があふれました。イエスさまの血が、エルの金色の髪の毛にぽたぽたと落ちていきます。

「エル、こっちにもどっておいで!」

エルより遅れて丘の上に着いたシャミルが、叫びました。
シャミルは、エルの姿が人間の目にも少しずつ見えはじめているのに気づきました。十字架のまわりには、やりを持った兵士たちが見張っているのです。もし、兵士にエルが見つかったら、殺されてしまうかもしれません。

「エル、早くこっちに来い。君はもうすぐ、人間になってしまうから」
シャミルが声のかぎり叫んでも、エルはぴくりとも動きません。
「何だ? 十字架の下に白い物があるぞ!」
誰かがいいました。幸い兵士たちはだれも気づいていません。

エルは、イエスさまの血で真っ赤に染まっていきました。
イエスさまは、エルを見つめるシャミルにあたたかい眼差しを注ぎました。『何も心配することはないんだよ』といっておられるようでした。
イエスさまが息をひきとると、太陽が突然黒くなり、あたりは暗闇につつまれました。 人々のざわめきと、女達のすすり泣く声が聞こえます。
しばらくして、だんだん明るさがもどってくると、シャミルはエルがいなくなっているのに気づきました。
シャミルは、あちこちエルをさがして歩きました。でも、とうとうエルを見つけることができませんでした。


** 10復活の朝に

  3日目の朝早く、マリヤは女たちとイエスの墓へ向かっていました。なきがらに香油をぬろうと思っていたのです。
墓の前に、大きな石が置かれているのを知っていたので、どうしたら取り除くことができるか思いめぐらしていると、石はす でに墓の横にころがっていました。そして、その石の上に天使がすわっていました。

「イエスさまはここにはいないよ。」
その声を聞いて、マリヤははっとして天使の顔を見つめました。
「お前は、エル!」
「マリヤさん。この間はありがとう。イエスさまは、よみがえったんだよ。このことを他のお弟子さんにも伝えてね」
エルは、そういうと姿を消しました。

シャミルは、アリサとオリーブ山に登っていました。足はもう引きずっていません。十字架のイエスさまがシャミルを見つめたとき、癒して下さったのです。

シャミルはアリサと二人で心を合わせて、山の上で祈ろうとしていました。
シャミルは、ふと空を見上げてあっと声を上げました。ひとりの天使が、空を飛びながら手をふっていたのです。
それは、エルでした。エルの背中にはまぶしいほど白い新しいつばさが生えていました。





*************************おわり



Back